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201系の思い出 その1

2005年10月、中央線にE233系の導入が発表されました。

いよいよこの時が来るのか…。
期待と不安がいっぺんに押し寄せました。

103系を撮りに行く途中、ちょくちょく201系を撮っていましたので、
その時点で中央線全編成のうち半分は撮り終わっていました。

それでも、地元を走る路線だからこそ、103系以上に記録する必要がある…。
ここで、自分の撮り鉄人生にさらに拍車がかかったのです。
103系撮影の移動の合間に中野でひたすら撮り続けたのもいい思い出。
2時間近く待ち続けても、撮影者はほとんどいませんでした。

第1の目標として全編成を撮影することにしました。


引退が発表されてから本格的に撮り始める…。
よく言われる言葉を使えば「葬式厨」というやつなのでしょうか。
今振り返ってみるとそう言われてもおかしくは無いのですが、
人間とは、何かきっかけがなければ動けないものだと思います。

「葬式厨」=「よくない」と捉えられる傾向が多いのは、
各々のマナーに問題があるのではないかと考えます。
H4とH7の2本体制になってから撮り始めた人でも、
マナーを守って撮影すれば、問題はないと思います。
何を撮るかは人それぞれですから…。
ただ、一部に傍若無人な振る舞いをする人がいるため、
葬式中が悪いものとして見られてしまうのでしょう。
いつでもマナーは大切にしたいものです。

05121011.PC100128 - コピー

H17はストックの中に写真が1枚も無かったので、
(もしかしたらフィルムにあるかもしれません)
12月に撮影したこの写真がH17の1枚目でした。
このあとこの編成を散々追っかけるとは、
全く思いもしなかったのですが…。

10月には八高・川越線と京葉線、12月には武蔵野線で、
103系が引退を迎え、さびしくなりました。
1日で京葉線→武蔵野線→常磐線と追っかけたことも、
遠い過去の思い出になってしまいました。

ここからは常磐線の103系に絞っていったのですが、
いよいよ201系の撮影にも時間を費やすようになりました。
着々と枚数を増やし、2月には全編成の撮影が完了しました。
…最後の1編成、それは忘れもしない、後のH4…H13でした。

早期に第1の目標を達成し、次に向かうは…。
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201系の思い出 その0

この機会に自分と201系について振り返ってみたいと思います。


以前、このブログにも書いたとは思うのですが、
自分がコンデジを購入したのは2002年のことです。

それまではフィルムカメラで撮影するのがメインでしたが、
フィルム代や現像代もかかるため撮影頻度は少なく、
雑誌に載っている写真を見るので満足していました。
コンデジを買ったもののそのスタイルは変わらず、
月に2~3回カメラを持てばいい方でした。

そんな自分に転機が訪れました。
2005年2月、ネットサーフィンをしていると、
「武蔵野線103系の減少」という記事を見つけました。
武蔵野線=103系というイメージが強かったので、
この記事にはだいぶショックを受けたものです。

その時「自分で撮ってみよう」という感情が芽生え、
それからというものの撮影地に足を通う毎日…。
当時は運用も分からず寒い中ひたすら待ち続け、
3時間近く待って2本しか来なかったことも。
安いコンデジに腕の無さも相まって、
撮影するのは一苦労でした。。。

今思えば、これが撮り鉄への第一歩だったのでしょう。

4月を迎えてからはあちこち出向くようになり、
暇さえあれば大回り乗車で103系の爆音を楽しみました。
カメラを握る回数は確かに増えていったのですが、
どちらかと言うと乗車する方が楽しかったのです。
撮影も「乗った車両を記録する」ため面撮り写真だけ。
今でこそ勿体ないと思えますが。


それを裏付けるように、6月に運転された三鷹駅75周年記念列車も、
乗りなれた区間ながら中央線で103系に乗れるということで、
往復ともに乗車しました。いやはや、あれから5年ですか。。。
今考えると片道乗車、片道撮影にするのですが…。
やはり当時は乗り鉄に重心を置いていました。

しかし撮り鉄の道もどんどん深くなり、
E38編成の譲渡に向けた流れを追いかけてみたり、
今では当然ですが、運用を調べて狙って撮影しました。
挙句の果てに2本の運用を調べて並びを撮影して見たりと、
201系でやったことと同じようなことをやっていました。

05112007.PB200286 - コピー

武蔵野線は駅間も長く並びを撮影するのは一苦労で、
これもやっとのことで西船橋にて撮影できたものです。


そして2005年10月、自分の撮り鉄人生を左右する発表が…。

振り返ってみると

中央線201系が引退してから10日が経過しました。


17日を迎えるまでは不安な面持ちでいましたが、
今はもう201系のいない日々に慣れてしまいました。

引退の翌日から本業が忙しくなったこともあって、
しばらくカメラを握ることもせずにいました。
ネットで他の方のブログを拝見させていただいたり、
自分のブログの記事を時間をかけて作成したり、
それぐらいしか鉄道に時間を割きませんでした。
そういうことが201系のいない現実を受け入れられた、
という要素なのかな、と考えたりもしています。

この前の日曜日は休みで久々にのんびり過ごしたのですが、
「さて、ムコ区に201系でも撮りに行くか」といった、
気軽に「201系に会いに行く」行為が出来ないことを実感し、
なんとも寂しい気持ちになりました。

201系のいない日々に慣れたとはいえ、
心の奥ではやはり哀しく思っています。


今、これからどうしようか考えています。

しばらくはE233系や京葉線の201系を中心に、
西武鉄道といった地元路線にも注目したりと、
自分の好きなものを撮影していこうと思います。
もちろんムコ区にも定期的に行くつもりです。
珍表示はいつ見ても面白いので…。

ただ、これまで中央線201系に費やしてきた時間、
それと同じだけ他の車両に費やすかと言ったら、
多分それは無いと思います。

中央線なら自宅からも近いので気軽に行けますが、
京葉線は都心まで時間とお金をかけなければいけません。
皆さんには言い訳にしか聞こえないかもしれませんが、
その「気軽さ」の違いはずいぶん大きいと思います。

その点、E233系や西武鉄道は自宅からも割と近いので、
京葉線よりは撮影しやすいと思います。


ブログの方針に関してはまだ検討中です。
とりあえず次回からは自分と201系を振り返ってみます。
それが一段落したら、方針を完全に決定する予定です。

さよなら201系H7編成ラストラン山梨そして信州へ その5

松本に到着、哀しみを抑えつつ足早に改札へと向かいます。
車に便乗させて頂き、回送を撮影するためです。

H7の発車前に松本の駅を後にし、撮影地へ車を進めます。
向かった先は西条付近の有名なトンネル飛び出しアングルです。


すっかり天気も回復し、撮影地は逆光と厳しい条件ながらも、
車での追っかけ組が多数集い、なかなかの混雑ぶりでした。
露払い?の長野行き特急しなのが通過するのを見届けると、
程なくしてトンネルの向こうからライトが見えました。

2010-10-17 207 - コピー

すすきが咲き誇る中、最後の力走を見せます。

2010-10-17 208 - コピー

これまでの201系廃車回送、ことごとく他の予定が入ってしまい、
豊田~高尾で撮影するのがやっとと言ったぐらいでして、
篠ノ井線内で撮影するのは夢のまた夢でした。

このトンネル飛び出しアングルも撮りたいと思っていた場所で、
最後の最後にこうして実現でき、満たされた気分になりました。

走り去るのも見送って、車に急いで乗り込みます。
間に合うかどうか分かりませんが、一か八かで、
H4の時と同じく長野~長野車セの踏切へ向かいます。


目的地周辺に到着、H7はすぐそこに見えていました。
車を降りて急いで機材を準備、するとすぐに警報機が鳴りました。

2010-10-17 222 - コピー

最後の走行…終着はもうすぐそこ。
H4の時は随分とゆっくとやってきたのですが、
今回は割とスピードを出して通過して行きました。

前回は撮影もできたここら辺で離合する妙高号ですが、
H7が早かったため離合は撮影できませんでした。

2010-10-17 231 - コピー

踏切が開いたら後追いを撮影。
遠くには485系の「彩」が留置されています。
これまでは「彩」が中央線までやってきて、
201系と顔を並べることもありましたが、
今日は201系が来客です。

「お疲れ様でした。」
目つきは鋭いですが、そんな言葉が似合います。


本来ならこの後留置線まで行きたいところですが、
翌日に大事な要件があるため早めに帰京せねばならず、
ここでH7とはお別れ、ということになりました。

最後はシャッターを切らず、自分の目で見送りました。


自分と中央線201系、1つの時代に幕が下りました。

~~~

予定より1回多く5回にわたってお送りした当シリーズ、
今回で終了、一通りの紹介が終わりました。
ご覧頂きましてありがとうございました。

当ブログの今後の方針に関しても近日中に発表いたします。
しばらくはこれまでの活動を振り返りたいと思いますので、
お暇な時にでもご覧いただければと思います。

さよなら201系H7編成ラストラン山梨そして信州へ その4

甲府を出発、ツアーもあと約2時間…。

甲府を出て10分ちょっとで韮崎に到着です。
H4の時と同じく下り本線上で停車します。

2010-10-17 152 - コピー

見づらいですが、奥に観音様が見えます。
中央線快速電車沿線にもあった気がしますが…。

個人的にはその手前の「アメリカヤ」が気になります。


韮崎を出発したらお弁当タイムです。
お弁当はH4の時より変わらない定番のものです。
元をたどれば四季彩のさよなら運転もこれに類似しており、
単純計算で10回以上このシリーズのお弁当を食べています。
家には201系を象ったお弁当ケースがずらり…。
今回もおいしく頂きました。ごちそうさまです。
もう食べられないのは少し残念です…。

車内からは八ヶ岳が見えました。
車窓の移り変わる山々を見るのも楽しいです。

富士見に到着。
ドア扱いをする最後の停車駅です。

2010-10-17 171 - コピー

この趣向、H4の時にも撮ったような…。

2010-06-20 088 - コピー

アングルこそ違いますが、撮りたいものは同じです。
遡れば諏訪湖臨の時にも撮ったと思います。

2010-10-17 180 - コピー

時折晴れ間をのぞかせ、前面に柔らかな午後の光が当たります。
流石にここまで来ると撮影者はツアー参加者ばかりでした。


富士見を出発すると記念品の方向幕の配布が行われました。
幕の種類は選べず、どれが当たるかは開けてみてのお楽しみ。
特製の袋に入っており、どの袋を選ぶかは抽選でした。

自分は幕を持っているのでコマは何でもよいのですが、
地元(武蔵小金井か国分寺)を期待しました。

ちなみにこの幕はH4が使用したものと思われます。
この時期400コマ分を確保できるのはH4のものぐらいで、
長野のイベントでは201系の幕が機械単体で販売されたので、
恐らくH4ものと見ていいでしょう。

自分も袋を選び、号車内全員一緒に開封。
…なんと!「国分寺」が当たりました!

2010-10-17 189 - コピー

H4の国分寺行き…08年1月の高架切り替え工事の時、
寒い思いをして撮影した思い出の組み合わせ。
それを思い出せるものが手元に来て、感無量です。

他の参加者の方々も幕に一喜一憂、
白幕以外なんでもありのようで、
中には「試運転」という方も…
人気どころは「中央特快」や「ホリデー快速」で、
幕の話題で見ず知らずの人との会話も弾みます。
すごい和やかなムードでした。

そんなことをしていると塩嶺トンネルに入りました。
音を聞く限り100km/h近く出ているような感じでした。
最後の爆走…そんな言葉が思いつきました。
うるさくて話している言葉も聞こえません。
武蔵野線の103系を思い出しました。

トンネルを抜けるとみどり湖通過、そして塩尻へ。
隣にはミニエコーが停車していました。
H4の時は115系でしたので、運用が変わったのでしょうか。
こちらの事情には詳しくないのでよくわかりませんが…。

塩尻を出発、最後の旅客運用区間へ。
あと10分ちょっと…どうも落ち着きません。
長年乗車してきた中央線201系に乗れるのもこれが最後。
とても寂しい気分になってきました。

松本到着前、アナウンスが始まりました。
「201系も今日が最後…」
ここまでそれを忘れさせるぐらい楽しい時間、
ずっとこのまま乗車していたいのに…。

アナウンスを聞くうちに色々と回想してしまい、
どんなことを話していたのか覚えていません。
しかし、最後のこの言葉だけは鮮明に思い出せます。


「ありがとう、201系。そして、さようなら。」


14時29分、終点松本に到着。
中央線201系最後の旅客運用が終了しました。
プロフィール

八ムコ

Author:八ムコ
201系を追いかける日々、
自分らしく記録していく。

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