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201系の思い出 その2

2006年2月、全編成の記録がひと段落しました。

常磐線の103系も終焉を目前に控え最後の追い込み、
移動の合間、相変わらず中野で撮りためました。

その中ちょくちょく撮り溜めていったのが形式写真です。
簡単にいえば、車両を1両1両記録していく、というものです。
当時は東小金井が上下線とも地上で中線もあり、
形式写真を撮影するには最適な場所でした。
中野も形式写真を撮影しやすい方だったので、
その数を着々と増やして行きました。


ただトタ区だけで700両以上も存在する201系、
更にサイドを考えると1両当たり4方向…。
何を撮ったか分からなくなってきました。
家に帰って「これはもう撮ったサイドか」
と思わず呆れかえってしまうことも…。

そこで、以前作った編成表を基にして、
記録表をつけることにしました。
とりあえず1両1枚撮ることを目標にし、
赤ペンでチェックをしていくという、
何ともお粗末な記録ではありました。

クハ200-11(1)a - コピー

中間のクハは極力前面が出た状態で撮りたかったので、
出来る限り土休日は拝島へと出掛けまして、
分割や併合シーンをひたすら狙っていました。

今では橋上駅舎となった拝島ですが、
当時はまだ地平に駅舎がありました。
薄暗く狭い地下道や西武と区切りのない通路。
障害物も少なかったので形式写真には最適、
ここで数を稼いでいきました。


プロの形式写真の写真家には適わない腕…。
ほとんど「自己満足」の世界ではありましたが、
201系ととにかく撮り溜めていたこの時代、
自分にとってはとても幸せなひと時でした。
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201系の思い出 その1

2005年10月、中央線にE233系の導入が発表されました。

いよいよこの時が来るのか…。
期待と不安がいっぺんに押し寄せました。

103系を撮りに行く途中、ちょくちょく201系を撮っていましたので、
その時点で中央線全編成のうち半分は撮り終わっていました。

それでも、地元を走る路線だからこそ、103系以上に記録する必要がある…。
ここで、自分の撮り鉄人生にさらに拍車がかかったのです。
103系撮影の移動の合間に中野でひたすら撮り続けたのもいい思い出。
2時間近く待ち続けても、撮影者はほとんどいませんでした。

第1の目標として全編成を撮影することにしました。


引退が発表されてから本格的に撮り始める…。
よく言われる言葉を使えば「葬式厨」というやつなのでしょうか。
今振り返ってみるとそう言われてもおかしくは無いのですが、
人間とは、何かきっかけがなければ動けないものだと思います。

「葬式厨」=「よくない」と捉えられる傾向が多いのは、
各々のマナーに問題があるのではないかと考えます。
H4とH7の2本体制になってから撮り始めた人でも、
マナーを守って撮影すれば、問題はないと思います。
何を撮るかは人それぞれですから…。
ただ、一部に傍若無人な振る舞いをする人がいるため、
葬式中が悪いものとして見られてしまうのでしょう。
いつでもマナーは大切にしたいものです。

05121011.PC100128 - コピー

H17はストックの中に写真が1枚も無かったので、
(もしかしたらフィルムにあるかもしれません)
12月に撮影したこの写真がH17の1枚目でした。
このあとこの編成を散々追っかけるとは、
全く思いもしなかったのですが…。

10月には八高・川越線と京葉線、12月には武蔵野線で、
103系が引退を迎え、さびしくなりました。
1日で京葉線→武蔵野線→常磐線と追っかけたことも、
遠い過去の思い出になってしまいました。

ここからは常磐線の103系に絞っていったのですが、
いよいよ201系の撮影にも時間を費やすようになりました。
着々と枚数を増やし、2月には全編成の撮影が完了しました。
…最後の1編成、それは忘れもしない、後のH4…H13でした。

早期に第1の目標を達成し、次に向かうは…。

201系の思い出 その0

この機会に自分と201系について振り返ってみたいと思います。


以前、このブログにも書いたとは思うのですが、
自分がコンデジを購入したのは2002年のことです。

それまではフィルムカメラで撮影するのがメインでしたが、
フィルム代や現像代もかかるため撮影頻度は少なく、
雑誌に載っている写真を見るので満足していました。
コンデジを買ったもののそのスタイルは変わらず、
月に2~3回カメラを持てばいい方でした。

そんな自分に転機が訪れました。
2005年2月、ネットサーフィンをしていると、
「武蔵野線103系の減少」という記事を見つけました。
武蔵野線=103系というイメージが強かったので、
この記事にはだいぶショックを受けたものです。

その時「自分で撮ってみよう」という感情が芽生え、
それからというものの撮影地に足を通う毎日…。
当時は運用も分からず寒い中ひたすら待ち続け、
3時間近く待って2本しか来なかったことも。
安いコンデジに腕の無さも相まって、
撮影するのは一苦労でした。。。

今思えば、これが撮り鉄への第一歩だったのでしょう。

4月を迎えてからはあちこち出向くようになり、
暇さえあれば大回り乗車で103系の爆音を楽しみました。
カメラを握る回数は確かに増えていったのですが、
どちらかと言うと乗車する方が楽しかったのです。
撮影も「乗った車両を記録する」ため面撮り写真だけ。
今でこそ勿体ないと思えますが。


それを裏付けるように、6月に運転された三鷹駅75周年記念列車も、
乗りなれた区間ながら中央線で103系に乗れるということで、
往復ともに乗車しました。いやはや、あれから5年ですか。。。
今考えると片道乗車、片道撮影にするのですが…。
やはり当時は乗り鉄に重心を置いていました。

しかし撮り鉄の道もどんどん深くなり、
E38編成の譲渡に向けた流れを追いかけてみたり、
今では当然ですが、運用を調べて狙って撮影しました。
挙句の果てに2本の運用を調べて並びを撮影して見たりと、
201系でやったことと同じようなことをやっていました。

05112007.PB200286 - コピー

武蔵野線は駅間も長く並びを撮影するのは一苦労で、
これもやっとのことで西船橋にて撮影できたものです。


そして2005年10月、自分の撮り鉄人生を左右する発表が…。
プロフィール

八ムコ

Author:八ムコ
201系を追いかける日々、
自分らしく記録していく。

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